2023/06/20
実は野球未経験⁉ 命を吹き込み、持ち主の思いを形に 依頼を断らないグラブ修理職人
■焼津市のRe:Birth石川能さん グラブ修理歴15年
忙しくても、破損が激しくても依頼は断らない。原材料費が高騰しても大幅な値上げはしない。静岡県焼津市には全国的にも珍しい野球用具を修理する専門店がある。静岡県ゆかりの人たちの歩みをたどる特集「My Life」、第11回はグラブ・スパイクの修理専門店「Re:Birth」の店主・石川能さん。この道15年を超える職人だが、実は野球未経験。決してもうからない仕事という修理の道を歩み続けるのは、どのグラブにもストーリーがあるからだった。
静岡県の県庁所在地・静岡市とサッカーのまち・藤枝市に隣接する焼津市は、マグロやカツオといった海産物で知られている。港町のイメージとはかけ離れた野球のグラブ・スパイク修理専門店「Re:Birth」は開店して4年が経つ。
店主の石川さんは元々、スポーツ用品店で働いていた。様々な競技の用具を販売しながら、グラブ修理も担当していた。独立して上手くいく勝算があったわけではなかった。石川さんは「もうかる仕事ではないと分かっていました」と笑う。それでも、なくしてはいけない仕事という使命感があった。
「新品のグラブを売った方がもうかるので、修理しようとする職人は少ないです。全国的には、グラブを修理する概念がない地域もあります。野球用具は高価です。修理できると知ってもらえれば、野球をやってみようと思う親子は増えると思っています」
■深刻な野球人口減少 用品の価格も一因
野球の競技人口は減少に歯止めがかからない。小学生男子が野球をやるのは当り前の時代は過ぎ去り、子どもたちには他のスポーツやスポーツ以外の選択肢がたくさんある。子どもの数自体が減っている以上、野球の競技人口減少は避けられない。しかし、子どもの数が減る割合以上に競技人口が減少している理由の1つには、用具の価格がある。
少年野球チームに入って、グラブ、バット、スパイク、ユニホーム、帽子、ソックス、アンダーシャツなど一式をそろえると5万円を軽く超える。3万円以上するグラブやバットも多く、軟式から硬式に移行すれば買い替える必要がある。
練習すればグラブは傷んでいく。ただ、紐が切れたり、革が破れたりしても修理すれば破損する前と同じようにプレーできる。石川さんは原材料費の高騰でグラブの価格は今後上がっていくと予想し「修理の需要や役割は今よりも大きくなると思っています」と話す。
石川さんは基本的に修理の依頼を断らないという。中には修理が難しい状態のグラブもあるが、依頼者に「無理かもしれません」と事前に伝えた上で方法を考える。修理の金額はグラブの状態によって変わるが、数千円のケースも少なくない。
■天国の友人から 父から息子へ 思いの詰まったグラブ修理
材料費や手間を考えれば、割が良い仕事と言えないことは想像できる。それでも、石川さんは手を抜かない。預かったグラブには、それぞれに歴史が刻まれているからだ。
「使えるように直すだけではなく、思いを形にできたら良いなと思っています。修理した後のグラブを見て喜んでもらえるのが、この仕事を続けている理由です」
石川さんのもとには、思いが詰まったグラブが届く。過去には、自分が使っていたグラブで息子にプレーしてほしい父親がいた。天国に旅立った友人から譲り受けたグラブを部屋に飾るため、修理を依頼する学生もいた。石川さんは依頼者の話を聞き、グラブに詰まった思い出を共有しながら命を吹き込んでいく。
石川さんは月に70個ほどのグラブを修理している。形や破損具合を見れば、持ち主がどんなプレーをしているかイメージできるという。直した後に違和感がないように、持ち主の好みや使い方に合わせた修理ができるのが最大の特徴だ。
■野球未経験、学生時代は空手 異色の経歴が長所に
ただ、驚くことに石川さんには野球経験がない。学生時代は空手をしていた。グラブをつけてプレーしていない点は不利になりそうだが、むしろ異色の経歴が生きていると長所に捉えている。
「グラブ修理は自分の感覚ではなく、持ち主の好みに合わせるのが仕事だと思っています。野球をやっていなかったので、私には固定概念がありません。自分の考えや好みで作業するのではなく、使う人の希望に合わせられます」
独立前にスポーツ用品店でグラブ修理をしていた頃、石川さんは大人に限らず、中学生や高校生にも、グラブの使い方を詳しく聞いていた。その話とグラブの形や傷み方を見比べて、持ち主の好みが分かるようになる。決まった形で裁断された革を縫い合わせる新品のグラブと違い、修理は持ち主の数だけ修理の方法がある。石川さんは経験を重ねて引き出しを増やしている。
ここ数年、原材料費の高騰で食料品も光熱費も大幅に値上がりしている。グラブ修理にも材料費がかかるため、石川さんも店の経営を考えれば一定の値上げをしなければ利益が減っていく一方だ。しかし、依頼を受けたグラブを見るとためらってしまう。
「周囲からは値上げすべきと言われています。でも、修理に持ってくる人は新品のグラブを買えずに困っているわけです。見放すような感じがして、大幅な値上げに踏み切れません。結果的に、自分の首を絞めるのは分かっているんですけどね」
修理技術の高さは口コミを中心に全国へ広がり、「Re:Birth」には全国からグラブが届く。「他では直せないと言われたグラブが最後に行き着くのが私のところかもしれません」。石川さんは、熟練の技でグラブを1つ1つ再生していく。グラブに詰まった思いや物語に耳を澄ますように。
(間 淳/Jun Aida)