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2023/07/10

独立、結婚と変化の1年 フリー転身で見えた世界 局アナ時代の“我慢”も解禁

遠鉄ストアの応援隊長に就任した内山さん(本人提供)

■フリーアナ内山絵里加さん 講演、モデル、アンバサダーに挑戦

独立、結婚、引っ越し。生活が大きく変化する1年となった。静岡県浜松市出身のフリーアナウンサー内山絵里加さんは、11年間務めたテレビ局を退社して2年目を迎えている。コラム「うちやまのこばなし」、今回のテーマはフリーアナウンサーになった変化。局アナ時代から“解禁”したことがあるという。

 

前回のコラムから期間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。私は文章を書いて自分の頭や心を整理することを習慣にしていたのですが、この1年は環境が目まぐるしく変わり、時間的にも心の面でもなかなか余裕がありませんでした。

 

早いもので、フリーアナウンサーになって1年以上経ちました。昨年11月には結婚し、生活の拠点は名古屋に移りました。テレビ局に勤務していた1年前とはお仕事も私生活も大きく変化しています。

 

不安いっぱいでスタートしたフリーの道でしたが、びっくりするくらい色んな方に助けていただいています。本当に感謝しかありません。この1年でアナウンサーは、こんなに様々なジャンルのお仕事ができるのかと知りました。

 

テレビ局でアナウンサーをしていた頃は主にニュースを担当していたので、「原稿を正しく読むこと」、「台本通りに進めること」を意識し、失敗しないように準備していました。フリーになってからはテレビCMやアンバサダー、講演や企業の研修、さらにモデルや落語にも挑戦する機会もいただきました。

遠鉄ストア掛川高御所店で1日店長を務めた内山さん(本人提供)

■「自分に嘘をつきたくない」 仕事を受ける明確な基準

私は当日にできるだけ緊張しないよう、準備に時間をかけます。台本があるわけではないので事前に調べてシミュレーションして、時には自分で台本をつくっています。それでも、想定通りにいかない難しさはありますが、トライ&エラーの毎日を新鮮に感じています。今は、失敗しない心掛け以上に、やってみて改善していこうと思っています。

 

フリーになってからは、自分の考え方や気持ちを自由に伝えられるようにもなりました。テレビ局に勤務している時は、私個人の発言が局の見解と捉えられてしまいます。自分の言葉に責任を持つことには今も変わりはありませんが、より自分らしさを表現できています。

 

お仕事に対する責任も、これまで以上に強く意識しています。私は事務所に所属したり、マネージャーをつけたりしていないので、依頼をいただいた企業の方と直接お話します。

 

アンバサダーなどのお仕事では企業や商品をPRしていますが、自分が良いと思った時だけ依頼を受けています。自分に嘘をつきたくないですし、他の人に勧めたいと思うものでなければ商品の魅力を発信することも、依頼いただいた企業に喜んでいただくこともできないと思っています。

 

■フリーで解禁した髪色と服装 局アナ時代はイメージ重視

フリーになって自分の中で制約を解禁したのは、髪と服装です。分かりにくいかもしれませんが、テレビ局で勤務していた頃より髪の色が明るくなっているんです。私は地毛が茶色いので、黒に近い茶色に染めていました。今は明るい茶色のままにしています。

 

洋服もテレビ局に居た時は、女性アナウンサーのイメージに合うものを選んでいました。元々、カジュアルな服装が好きなのですが、いつ、どこで視聴者の方に見られているか分からないので、通勤する時も休日の時も、かっちりした洋服を着ていました。

 

この1年、周りの方々のおかけで、たくさんのお仕事をいただきました。「ニュース見てたよ」、「地元を大事にしているよね」などと声をかけていただいています。こんなにも応援していただけるとは想像していませんでした。

 

お仕事を依頼してくださる方の中には、私に任せたい、私の話が聞きたいというより、フリーになって大変だろうから助けたいと思った方が最初は多かったように感じます。テレビ局のアナウンサーの頃から、「目の前の仕事を1つ1つと大切に」という気持ちは変わっていません。これからも、いただいたご縁を大事にしていきたいと思っています。

 

<プロフィール>

内山絵里加(うちやま・えりか)。19881129日生まれ、浜松市出身。浜松日体高から青山学院に進学し、2011年にSBS静岡放送入社。夕方の報道・情報番組のメインキャスターや、ラジオ番組「内山絵里加のふくわうち」のパーソナリティを担当。20224月にフリーアナウンサーとして独立。司会やナレーションなど幅広く活動。

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