2023/10/04
“負の出来事”が挑戦の合図 庭仕事中の大怪我やコロナの後遺症が人生の転機に
■理学療法士の甲賀英敏氏 理想の呼吸を身に付けるサロンオープン
人生の転換期には、いつも“負の出来事”が起きる。静岡県ゆかりの人たちが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。第14回は掛川市でサロン「GFconditioning」を運営する理学療法士の甲賀英敏さん。庭の手入れ中に大怪我をしたことから理学療法士を志し、新型コロナウイルスの後遺症がきっかけで独立して今年8月にサロンをオープン。ネガティブな経験が挑戦の合図になっている。
今年6月、甲賀さんは大きな決断をした。新卒から21年間勤務した掛川市の総合病院を退職。独立して、野球をはじめとするスポーツ選手のパフォーマンスアップをサポートする「GFconditioning」をオープンした。
甲賀さんは理学療法士の資格を持つトレーナーで、病院では赤ちゃんからお年寄りまで、幅広い患者のリハビリなどを担当していた。また、病院勤務を始めた時期と同じタイミングで県高校野球連盟のメディカルサポートも担当し、選手の怪我予防に尽力した。
病院や高校野球の現場では、投げ過ぎによって肩や肘を故障する選手の現実を目の当たりにした。小学生で肩や肘、腰に深刻な怪我をし、さらに指導者に言い出せず我慢しているケースも少なくなかった。「もっと早い段階から故障を予防する重要性を広めなければいけない」。甲賀さんは、球数制限の必要性や肩や肘への負担を軽減するケアやトレーニングを選手や指導者に伝えた。
■怪我を予防して運動能力を伸ばす 育成型の野球チーム運営
そして、昨年には自身の知識や経験を地元に還元しようと、小学生の軟式野球チーム「グッドフェローズ」を立ち上げた。チームは軟式野球連盟に属さず、「メディカル」、「フィジカル」、「テクニック」による三位一体の指導を掲げる。野球の技術を磨く以上に、運動能力を高めて小学生世代で必要な体の動きを身に付け、中学、高校で活躍できる選手の育成を目的にしている。甲賀さんは言う。
「小学生が参加する大会は、負けたら終わりのトーナメント制です。勝利を優先するあまり特定の選手への負担が大きくなり、肩や肘を壊す要因になります。この現状を変えないと、怪我で野球をあきらめる子どもたちが今後も出てきますし、野球人口は一層減ってしまいます」
育成型の少年野球チームは賛同を得ている。野球の競技人口は減少に歯止めがかからない中、活動2年目のグッドフェローズには約40人の選手が所属している。土日祝日は丸一日練習するのが一般的な少年野球チームと一線を画し、野球以外の時間や昼寝で体を大きくする時間を確保するために練習を午前中のみとしているところも支持される要因となっている。
一方、甲賀さんには不完全燃焼な部分があった。平日は病院に勤務。土日は午前中にグッドフェローズで選手を指導し、午後は高校の野球部でトレーニングや選手のコンディションをサポートする生活にモヤモヤした気持ちが消えなかった。
「どこでも同じですが、会社や組織に属していると必ず制限があります。自分のやりたいことができていない感覚がありました」
■3か月続いた新型コロナ後遺症 療養中に独立を決意
固定給を得られ、休みも取りやすい組織にはメリットがある。ただ、当然ながら全てを自分の希望や判断では決められない。迷っていた甲賀さんの気持ちが大きく動いたのは昨秋だった。新型コロナに感染し、倦怠感や息苦しさといった後遺症に3か月ほど悩まされた。仕事を休んで療養している期間に自分の将来と向き合った。
「自分は何をやりたいのかを考えた時、野球に携わる仕事と地域の人たちの手助けになる仕事がしたいと気持ちが、はっきりしていました。病院で働くことでも地域の人たちのためになれますが、病院に行く前の段階で怪我を予防したり、気持ちを楽にしたりする活動を広げたいと思いました」
病院には怪我や心の不調を治す役割がある。甲賀さんは、そのやりがいや重要性を知っている。ただ、病院に行かなくても良いように体や心の健康を保つ仕事に、より大きな価値を見出した。そして、休養を経て仕事に復帰すると、その思いは強くなり独立への意思は固まった。
「改めて一歩引いたところから自分自身や同僚の仕事を見ると、余裕がなく、いっぱいいっぱいの状態が当たり前になっていると感じました。どの職種の人も状況は似ていて、体も心も酷使しているのに、そのことにさえ気付いていない人が多いと思います」
甲賀さん自身もストレスを抱えている自覚はなかった。だが、新型コロナの後遺症が続いて病院に行くと、ストレスが原因と診断された。独立してからは、知人に「顔が優しくなった」と言われるようになった。独立して軌道に乗るまでは収入面で不安定な生活となるが「心にゆとりがあって穏やかに過ごせています」と話す。
■自律神経にアプローチ 「きほんの呼吸®」に感じた可能性
新型コロナの後遺症で倦怠感や息切れに悩んでいた時、甲賀さんが興味を引かれ、体調回復のヒントを得た新たな取り組みがあった。それは、「呼吸」。メジャーリーグのダイヤモンドバックスでトレーナーをした経験を持ち、京都府で呼吸専門サロンを運営する大貫崇さんが提唱する「きほんの呼吸®」だった。
「きほんの呼吸®」は横隔膜を上下させて、しっかり息を吸って吐く動きを指す。シンプルな動きだが、横隔膜の動きを自分で感じるのは難しく、9割の人は基本の呼吸ができていないという。甲賀さんは「自律神経に意識的にアプローチできるのは呼吸だけと言われています。呼吸を整えるとスポーツ選手のパフォーマンスアップ、肩こりや睡眠の改善に効果があります」と説明する。
甲賀さんは、大貫さんが立ち上げたビジネスプロジェクト(KKBP)の1期生として資格を取得した。自身は胸郭が上手く機能せずに呼吸の回数が多いクセがあったが、呼吸法を学んで体調が整ったという。新型コロナの後遺症で1時間半から2時間おきに目が覚めていた睡眠も、朝までぐっすり眠れるようになった。呼吸の可能性を実感し「アスリートだけではなく、社会人の方にも呼吸の大切さを知ってほしいと思っています。体も心も楽になって毎日過ごせるはずです」と呼吸法の改善を勧めている。
新型コロナの後遺症に苦しんだ経験をきっかけに、独立を決断した甲賀さん。人生を振り返ると、大きな決断をする時は“負の出来事”がきっかけになっている。理学療法士を目指したのは、庭仕事中の大怪我が始まりだった。
■庭仕事中に転倒 大怪我で知った理学療法士の仕事
高校卒業後にトレーナーを志して大阪府の専門学校に進んだ甲賀さんは専門学校1年生の秋、実家に帰省した。脚立に乗って機械で庭の草木を手入れしている時だった。バランスを崩して転倒。機械の刃に左手の指3本が接触し、腱が切れる大怪我をした。
5時間に及ぶ手術を受け、患部の固定やリハビリで3か月ほどを要した。通院したのは、今年6月まで甲賀さんが勤務していた病院。後に上司となる男性をはじめ理学療法士たちの豊富な知識と細やかな心遣いに触れ、理学療法士の仕事に魅力を感じた。「トレーナーとして理学療法士の資格を持っていれば、選手をサポートする幅が広がると思いました」。甲賀さんはトレーナーの専門学校卒業後、理学療法士の養成校に通って資格を取得した。
トレーナーになろうと思った経緯も、ネガティブな要素をポジティブに変えた結果だった。甲賀さんは高校時代、野球部の主将を務めていた。当時を、こう回想する。
「外野手をしていましたが、下手だったのでレギュラーにはなれませんでした。体も大きくはなかったので、自分の力を最大限に引き出そうと自分なりにトレーニング方法を勉強しました。部活で同じ練習をしていても、上手い選手との差は埋まりませんから」
■高校野球では主将で控え トレーナー目指すきっかけ
甲賀さんが高校生だったのは25年前。今のようにトレーニングに関する情報や動画があふれている時代ではない。トレーニングに関する書籍を読んでパフォーマンスアップを図った。ただ、主将の責任感や人柄の良さが先行し「結局、自分のトレーニングよりも、チームが勝てるように知識を増やしてチームメートに勧めていました」と振り返る。その頃、書籍で目にした「トレーナースピリット」は、甲賀さんの原点になっている。
「アスレティックトレーナーの資質として書かれていた、どんなに豊富な知識と優れた技術を持っていても、競技者や指導者に信頼されなければ、アスレティックトレーナーとしての役割を果たせない。誰からも慕われる、思いやりがある人柄であることが重要。特に競技者やチームのために献身的に尽くす姿勢が大事という言葉が響きました」
トレーニングで効果的にパフォーマンスを上げるおもしろさや、選手やチームをサポートするやりがいを知った甲賀さんは、トレーナーになるために専門学校へ進んだ。高校の野球部で主力として活躍していたら、トレーニングに関心を持たなかったかもしれない。
そして、庭仕事での大怪我や新型コロナ感染がなければ、理学療法士の道も独立の選択もしていなかった可能性が高い。「今は毎日ワクワクしています。やりたい仕事をする生き方に変えて良かったと思っています」。物事は捉え方や考え方次第でプラスにもマイナスにも左右する。“負の出来事”も人生の財産やターニングポイントになる。
(間 淳/Jun Aida)