2022/10/12
大谷翔平の記録と比較されるベーブ・ルースは静岡にゆかり 伝説の球場に再び脚光
■「野球の神様」ベーブ・ルースは草薙球場でプレーしていた
メジャーリーグはレギュラーシーズンを終え、ワールドチャンピオンを決めるポストシーズンが始まっている。チームは低迷したものの、エンゼルス・大谷翔平投手の投打にわたる活躍は今シーズンも際立っていた。二刀流でプレーする大谷投手が記録を達成すると、いつも比較の対象となるのが「野球の神様」と呼ばれるベーブ・ルース。その偉大な選手とのつながりが静岡県にある。
昨シーズン、メジャーでMVPを獲得したエンゼルスの大谷投手は、今シーズンも投打で結果を残した。投手としては15勝9敗、防御率2.33。奪三振は投球回の166を大きく上回る219を記録した。打者では打率.273、34本塁打、95打点をマークした。
今シーズンは、規定投球回と規定打席をどちらもクリアした。1903年にワールドシリーズが創設させた現在のメジャーリーグ史で初めての快挙だった。この記録に先立ち、昨シーズンあと1勝届かずに持ち越しとなった2桁勝利と2桁本塁打も達成している。
同一シーズンで10勝と10本塁打に到達したのは、1918年にレッドソックスでプレーしていたベーブ・ルース以来だった。この時、投手では13勝7敗、防御率2.22。打者では95試合で打率.300、11本塁打、61打点を記録している。
二刀流の大谷投手が大記録を達成すると、いつも比較の対象となるのがベーブ・ルース。通算714本塁打を放った打者として知られる一方、20代中盤までは投手も両立し、通算94勝を挙げている。
■草薙球場の入口にはベーブ・ルースと沢村栄治氏の黄金像
実は、「野球の神様」とまで呼ばれるベーブ・ルースと静岡県にはゆかりがある。静岡市にある草薙球場の入口には、金色の像が2体向き合っている。1つは左手にグラブをつけて右手にボールを握り、左足を上げている沢村栄治氏がモデル。もう1つはバットを手に悠然と構えている。この打者こそが、ベーブ・ルースなのだ。
1934年、全日本チームは大リーグ選抜チームを迎えて、草薙球場で親善試合を開催した。鉄人の異名を取るルー・ゲーリックや、史上最強の右打者の1人とも評されるジミー・フォックスらとともに、ベーブ・ルースも初めて来日した。
11月20日の第10戦、草薙球場を舞台にした一戦は日本野球史で今も語り継がれている。直前の13日から18日の3試合で大リーグ選抜は12本塁打、50得点と大爆発。その強力打線相手に、当時17歳だった沢村栄治氏が9つの三振を奪う快投を見せた。ベーブ・ルースからも三振を奪ったのだった。
試合は0-1で全日本が敗れたものの、ルー・ゲーリックのソロによる1失点に抑えた沢村栄治の名はメジャーのトップ選手に刻まれた。
沢村氏は後に巨人に入団した。1944年に戦死ためプレーしたのはわずか5年間だったが、63勝22敗、防御率1.74と圧倒的な数字を残した。そして、功績を称えた巨人は沢村氏の背番号14を永久欠番とした。現在、日本のプロ野球にシーズンで最も活躍した先発投手に贈られる最高栄誉に「沢村賞」と冠が付いているのは、いかに偉大な選手だったかを表している。
草薙球場につくられた沢村氏とベーブ・ルースが対峙する金色の像は伝説の象徴であり、野球ファンにとって特別な球場となっている。そして、メジャーで次々に記録を打ち立てる大谷投手の活躍が、草薙球場の注目度を高めている。
(SHIZUOKA Life編集部)