2023/02/01
「ずっとサラリーマンのつもりが」 大人の心も掴むカプセルトイ 細部まで本物再現
■静岡市のトイズキャビン・山西秀晃さん 46歳で“想定外”の起業
不安、喜び、プライド。直径6センチほどのカプセルの中には、想像もしていなかった人生が凝縮されている。静岡県ゆかりの人たちが歩んできた人生をたどる特集「My Life」、第9回は静岡市のおもちゃメーカー「トイズキャビン」の社長・山西秀晃さん。「ずっとサラリーマンでいるつもりだった」はずが、46歳の時に起業。本物を精巧に再現したカプセルトイでファンの心をつかんでいる。
「6年前の自分が、今の会社の状況を見たら狂喜乱舞するでしょうね。6年前に起業した時は生きて行けるのか不安で、現実を直視できませんでしたから」
今から6年前の2017年1月、山西さんは静岡市に「トイズキャビン」を立ち上げた。起業から1年半の間、商品の企画から営業まで全て1人でこなしていた。当時を振り返り「1人でメーカーをやるのはあり得ないですよね」と話す。それでも1年目から黒字経営を続け、現在は従業員が5人まで増えた。
トイズキャビンはカプセルトイを製造・販売している。商品の特徴は「精巧さ」と「発想」。購入するのは、ほとんどが大人だ。車やバイクといった乗り物、部屋のインテリアやカプセルホテルの一室など、どれも「トイ」と括ることに抵抗を感じるくらいカプセルサイズで本物を忠実に再現している。
その発想力に思わずうなる人が多いのは、バスの降車ボタンや卓上呼び出しボタンのカプセルトイ。大人になっても心に潜む好奇心や特別感をくすぐる。ユニークな発想で勝負する商品も、リアリティを追求している。降車ボタンを押した後のアナウンスはバスに乗っている感覚を味わえるオリジナルの音源を使うなど、細かいところまで抜かりがない。
■幸運を強調「起業家のようなかっこいい言葉は出ない」
こうした商品がファンを着実に増やし、競争が熾烈なカプセルトイの業界で存在感を示している。だが、山西さんの言葉は周囲が抱く成功者のイメージとは程遠い。
「ずっとサラリーマンを続けるつもりでしたし、私から起業家のようなかっこいい言葉は出てきませんよ。今があるのは運が良かっただけですから」
静岡市生まれの山西さんは東京の大学に進学し、そのまま東京の企業に就職した。数年後、父親が体調を崩したことから静岡に戻り、おもちゃ業界に転職。営業や商品開発の部署などを経て、2014年に新規事業を担うことになった。
新規事業のスタートは山西さん1人。何をやっても良かったが、何からやっていいのか分からなかった。可能性を模索する中でたどり着いたのがカプセルトイだった。
情報収集から始まり、おもちゃの展示会に行って海外の生産工場とパイプをつくる。商品を自ら考えて営業もした。一通りの流れを手探りで進める。山西さんは不安や恐怖と戦っていた。
「販売して売上を立てるまでに、かなりの時間がかかります。その間、全く会社に貢献できない辛さがありました。実際に販売しても売れるかどうか分からない怖さもありました」
■「私は静岡人」 首都圏企業の誘いを断って独立を決断
最初の商品はキャラクターグッズ。不安だらけの中で収益を出した。その後もヒット商品に恵まれ、順調に売上を伸ばしていった。新規事業を始めて3年。結果を残した山西さんは次のステップをぼんやりと描いた。首都圏にある複数の企業から声をかけられたが、「私は静岡人なので」と地元に残る道を選んだ。
ただ、その道は今まで歩んできたところから大きく方向を変える選択になった。20年以上のサラリーマン生活との決別。46歳での起業だった。
「元々起業するつもりがあれば、30代で行動しています。私は単なる会社員で起業家ではありません。前の会社でカプセルトイに関する流れは把握していても、その会社の看板を失って個人で同じように商売ができるとは限りませんから」
会社を設立した当時、山西さんの子どもは幼稚園の年長だった。社長になったからといって、収益が上がるわけではない。むしろ、初期投資で支出がどんどん膨らんでいく。しばらくは自宅で過ごす時間が長く、子どもからは「パパ、お仕事行かないの?」と聞かれた。「今、準備中なんだ」。不安を悟られないように答えた。
営業したくても、売るものがなければ手の打ちようがない。商品ができ上がるまで待つしかない。山西さんは長年勤めた会社を退職してから起業した最初の数カ月間、毎日夜になるのを待っていたという。
■待つしかない日々 平日の快晴に耐えられず「早く夜が来てほしい」
「天気の良い平日に家に居るのは、すごくきつかったですね。早く暗くならないかなと。夜のとばりが、今の自分の暗い心を隠してくれると思っていました。それまではたしなむ程度だったお酒の量が増えましたね」
会社を設立して8か月後、ようやく入金があった。最初に販売した商品はカセットテープのミニチュア。昭和生まれの人ならば、テープが伸びきるまでお気に入りの曲を聴いた記憶があるだろう。デッキに入れれば本当に曲が流れてくるのではないかと思うほど、精巧につくられている。
予想よりも売れ行きは良くなかった。ただ、山西さんは「最初に入金を確認した時の喜びは格別でした。自分でも商売できるんだと。どんなに私が善人であっても、商品自体に魅力がなければ売れません。善人ではないんですけどね」と当時を回想して笑う。
カセットテープのミニチュアからスタートし、これまでに発売した商品は約150種類まで増えた。商品が増えても売上が増えても、山西さんにはぶれない軸がある。
「実際にある物を安い価格で本物のように表現すること、隠れたニーズを掘り出すことには、これからもこだわっていくと思います。ブランディングも大切にしていきたいです」
■ブランディングにこだわり 長く続く会社に
山西さんが大事にするブランディング。例えば、おもちゃ店でトイズキャビンのカプセルトイを購入した時に、どこの会社が作ったのか調べたくなる商品に仕上げるのも、その1つ。企業価値を高めることが、難局に直面した時の武器になると考える。仮に原材料費の高騰などによりカプセルトイで収益を出せなくなっても、企業のブランドがあれば他のおもちゃを発売した時にファンがついてくる。
「会社経営で一番大変なのは、長く続けることです。社員の給料も一人前にしてあげたいですし、会社を継続させるために、どんな戦略を取れば良いのか常々考えています。その中で、企業のブランディングには重点を置いています。奇抜なことや大きな投資はできませんが、今生きている幸せを噛みしめてコツコツ商品を作り続けていくつもりです」
商品を待つファンの期待に応える使命や従業員を育てる責任。会社を大きくするだけが経営ではない。6年前まで起業するつもりが全くなかった山西さんの言葉は、経営者そのものになっている。
(間 淳/Jun Aida)