2023/02/18
命や人権の学びにつながる性教育 間もなく始まる「生命の安全教育」は準備に遅れ
■新年度から開始「生命の安全教育」 政府が教材や手引き公表
性教育は心と体の学びにとどまらず、人権や命にもつながっている。性の問題をタブー視する傾向にある日本でも、ようやく政府が重い腰を上げた。新年度から全国の小、中学校で「生命(いのち)の安全教育」という学習が本格的に始まる。しかし、開始まで2か月を切った今も、静岡県内の教育現場では準備が整っているとは言い難い状況となっている。
今月上旬、静岡市で一般社団法人「“人間と性”教育研究協議会」静岡サークルの定例会が開かれた。東京都に本部を置く性教育に関する研究会で、静岡サークルの活動は35年以上続いている。テーマが性教育とあって協議会の会員は教員が多いが、誰でも参加できる。
欧米と比較して、日本では性の問題が避けられる傾向にある。しかし、静岡市にある中学校の養護教諭で、この日の定例会で講師を務めた本間江理子さんは性教育の重要性を、こう話す。
「性教育は命を考える授業です。恥ずかしさや気まずさを感じたり、性暴力や性被害といったネガティブなイメージを持ったりしがちですが、命の大切さや多様性、他者との触れ合いや人権などポジティブで幸せにつながる学びがたくさんあります」
今回の定例会では、新年度からスタートする「生命の安全教育」が議題となった。これは政府が主導する取り組みで、すでに幼児期から高校生まで年代に応じた教材や手引きを公表している。
■性被害の加害者や傍観者も防ぐ目的 教育現場の周知は…
手引きには、子どもたちを性被害から守るだけでなく、加害者にも傍観者にもならないための教育や啓発を強化するという文言がある。思春期における心や体の成長に重点を置いた今までの性教育から一歩踏み込み、命の大切さまでを包括した内容となっている。
政府が危機感を募らせる背景には、増加傾向にある性被害がある。中学生が自分専用のスマートフォンを持ち、SNSの利用が日常となっている今、性犯罪に巻き込まれるリスクは高まっている。正しい知識を身に付けなければ、周りの人を傷つけたり、事件の被害者や加害者になったりする可能性がある。
政府は教育現場や家庭で活用できるように、教材となる動画を公表している。例えば小学校低学年向けの動画では、なぜプールに入る時は水着を身に付けるのか、着替えをジロジロ見るのはいけないのかを説明している。中学校向けの動画では、性暴力は身体的、性的な面以外にも精神的、経済的な要素があることや、相手との距離感の大切さなどを伝えている。
定例会の参加者は性教育への関心が高いため、「生命の安全教育」について知っている人ばかりだった。だが、県内のある中学校で実施したアンケートでは、「生命の安全教育」を知っている教員の割合が、わずか5%だったという。また、本格始動する新年度まで2か月を切っているにもかかわらず、複数の学校で詳細な情報が下りてきていない現状も明らかになった。
教育現場では性教育の大切さが指摘されながら、優先順位は決して高くない。定例会に参加した教員からは、こんな声が上がる。
「何か問題が起きた時に初めて、性教育の授業をやろうというふうになります。日々の業務に追われて性教育を学ぼうとする教員は少ないですし、学ぼうと思っても何を勉強すれば良いのか分からない教員もいると思います」
■性教育は後回し 教員の業務が増える背景に家庭の問題も
多忙化が問題視され、最近は教員の働き方改革が叫ばれている。新年度からは地域に移行されていく部活動の顧問をする教員は、平日の放課後や土日に自由な時間は少ない。
学習指導要領の変更で、子どもたちの評価はより細かい分析が求められるようになった。事務作業も増えているという。かつては口頭での報告で終わっていた業務も文書化が基本になっている。教員からは「書類に残す量や範囲が広がっているのは、勤務時間が長くなっている要因です。文書に残すとなると、言葉の使い方も気を使いますから」とため息が漏れる。
また、生徒指導や保護者対応は以前よりも時間と労力を要する。問題行動が起きた時に、当該の子どもを叱って終わりという時代ではない。保護者は学校側に詳しく説明を求め、ひと昔前は家庭で解決していたことも学校が対応を求められているという。食事や睡眠、スマホの使い方など家庭生活にまで教員が介入すれば当然、本来の業務が滞り、勤務時間は長くなる。性教育にまで手が回らないのが実情だ。
政府が打ち出す「生命の安全教育」以前の性教育も、本来は命の重みや大切さを伝える意義がある。思春期の子どもたちにとって、生きる上で大事な内容が含まれているはずなのだ。
1か月半後には「生命の安全教育」がスタートする。「性教育は心や体の話で終わるものではありません。命や人権を考える大切な教育です」と本間さん。現場の負担が増えると悲観するのか、意識を変えるチャンスと捉えるのか、教員や学校の考え方が問われている。
(間 淳/Jun Aida)