2023/06/09
静岡で45年愛されるパン ファンが救った消滅の危機 創業家激怒させた“事件”
■バンデロール「のっぽパン」 工場閉鎖で一時は販売終了
発売から45年を迎えた静岡県のご当地パン「のっぽパン」。実は、これまでに姿を消してしまう危機と“事件”があった。危機を救ったのは熱烈なファンの力だった。
沼津市のバンデロールが販売する「のっぽパン」は静岡県で最も有名なパンと言える。異例のロングセラーで、発売から45年が経つ。
バンデロールは1972年に設立された。その6年後、のっぽパンの販売がスタートしている。消滅の危機に陥ったのは2007年。のっぽパンを製造していた沼津ベーカリーの工場閉鎖に伴って販売終了となった。当時、ファンが集まって「サヨナラのっぽパン」というイベントが開かれたという。
しかし、ファンはのっぽパン終売を受け入れられなかった。涙ながらに販売再開を求める人もいた。バンデロールの社内でものっぽパン復活を望む声が上がっていた。そして、ファンの熱い要望に後押しされ、社内でプロジェクトが動き出した。当時、プロジェクトチームの中心を担った取締役管理本部長の野田歩さんが振り返る。
■販売再開望むファンが後押し 手作業で復活
「ファンの皆さんが自主的に集まって開いてくれたイベントを見て、何としても復活させなければいけないと強く感じました。多くの方から販売再開を要望する声をいただき、社内の誰もが力をもらったと思います」
沼津ベーカリーの工場にあったのっぽパンを量産するラインはなくなったが、焼き立てパンを製造・販売するバンデロール直営部門の工場は残っている。2008年、これまでのパン工場が卸す袋パンではなく、バンデロールがつくる「のっぽパン専門店」として静岡駅のパルシェに復活オープンした。のっぽパン第2期の幕開け。この時を心待ちにしていたファンが、開店前から列をつくっていたという。
のっぽパンの製造は、他の焼きたてパンと同じように手作業だった。店でクリームを入れて袋に詰めるのは当然ながら手間はかかるが、1日でも早く復活させたい思いが強かった。今でも、一部ののっぽパンは機械を使わずにクリームを入れている。
■創業家の会長激怒 “私ののっぽパン事件”
のっぽパンをめぐっては、創業家の会長が激怒する“事件”も起きている。社員に語り継がれている“私ののっぽ事件”。1日3~4万個ののっぽパンを製造していた頃、味は同じでも形が悪いものを廃棄していた。そこで、ロスを減らすために、のっぽパンを小さく切ってラスクとしての販売を始めた。
販売直後から売れ行きは好調だったが、ラスクの存在を知った会長が怒りを爆発させた。「私ののっぽパンを切り刻むとは、どういうことだ!」。愛着の深さから、のっぽパンが切られることに耐えられなかったのだ。社員が「ロスを減らし、のっぽパンをより広く知ってもらうためです」と説明して、理解を得たという。
消滅危機を乗り越えて、発売から45年を迎えたのっぽパン。異例のロングセラーとなっているご当地パンには、他にはない歴史がある。
(間 淳/Jun Aida)