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2023/07/05

外国語を話せないのに繰り返し海外へ 70か国以上と直接取り引き可能になったワケ

爬虫類の専門家として全国的にも有名な白輪さん

■iZooの白輪剛史園長 今につながる20歳前後の経験と人脈

生き物の仕入れで初めて海外へ行ったのは18歳。若くして海外を行き来した時間が財産になっている。河津町の体感型動物園「iZoo」を運営する白輪剛史園長の連載、今回のテーマは海外での経験。現在、70か国以上と直接取り引きできるのは、20歳前後に培った経験と人脈が大きかったという。

 

初めて海外へ行ったのは、高校を卒業した18歳の時でした。各国から生き物のバイヤーがタイのバンコクに集結していたので、私もタイへ行っていました。

 

当時はタイ語も英語も話せませんでしたが、繰り返しタイを訪れるうちに、コミュニケーションを取れるようになりました。言葉が分からないのに不安はなかったのですか?とよく聞かれます。次回の連載で詳しくお話しますが、日本人は外国語に対して難しく考え過ぎだと感じています。

 

若い頃は、しょっちゅう日本と海外を行き来していました。私が20歳の時に昭和が終わり、昭和から平成に元号が変わった時もバンコクにいました。湾岸戦争の時も、バンコクで仕入れた生き物を日本で販売する生活をしていました。

 

その頃、イスラエルに爬虫類ブームが来ていました。私は主にヘビを動かしていたのですが、バンコクの市場で自分がほしいヘビをイスラエル人に取られたことがあります。

イリエワニの卵を並べる白輪さん

■通貨価値の違いを活用 ファーストクラス&コース料理

日本に帰ってきてから、埼玉県の爬虫類店で「イスラエル人がヘビを買いあさっていて、なかなか買えない」という話を店主にしました。翌週、バンコクに行く飛行機の中で雑誌を読んでいたら、イスラエルが生物兵器製造のためにタイで毒ヘビ購入という記事がありました。

 

私が爬虫類店の店主に話した内容が、そのまま載っていました。「適当なことを書くなあ」と思いましたが、それくらい自分がやっている仕事は特殊なんだと実感しました。

 

当時は日本とタイの通貨価値は、10倍くらい差がありました。日本でラーメンを食べるお金があれば、タイではコース料理を食べられるわけです。私は、ほとんどのお金をタイで使っていました。タイ人から見れば贅沢かもしれませんが、日本円にすれば一般的な金額です。

 

私がタイに行き始めた頃、飛行機のチケットは日本とタイの往復で8万円ほどでした。湾岸戦争で倍近くまで高騰しましたが、商売のためには仕方ないという気持ちで15万円くらいかけてエコノミーで日本とタイを往復していました。

 

ある日、バンコクで飛行機のチケットを買ったらどうなるんだろうと気になりました。調べてみると、15万円でビジネスクラス、19万円出せばファーストクラスに乗れました。ファーストクラスにすれば、預けられる荷物は20キロから40キロまで増えます。ラウンジも使えるので、ファーストクラスに切り替えました。

 

■思い立ったらすぐ行動 ぶれないビジネススタイル

20歳前後の時はファーストクラスにしか乗りませんでした。周りからは「すごい」と言われましたが、金額的には日本で買うエコノミーチケットと4万円しか変わりません。

 

タイで購入するのは1年間のオープンチケットだったので、いつでも片道チケットを持っている状態です。午後に静岡を出発して成田空港に向かえば、夕方の便でタイに行くこともできました。タイムテーブルは頭に入っていたので、当日に動くケースは多かったです。

 

今でもスタッフに「あすからマレーシアに行くぞ」というように伝える時があります。「いつから計画していたんですか?」と聞かれますが、その場で思い付くことが大半です。

 

今は金額が高くなって利用できなくなりましたが、若い頃にファーストクラスに乗った経験は貴重でした。一番のメリットは隣に座った人と仲良くなれるところです。

 

■大理石販売するインド人や脳外科医 機内で異業種交流

大理石を販売しているインド人には機内で持っていた大理石を見せてもらい、違いを説明してもらいました。学会でカンボジアに行く脳外科の日本人医師と話したこともありました。

 

ファーストクラスでは、普段の生活ではアポも取れない人たちと会話できます。スーツを着ているわけでもない20歳前後の若造がファーストクラスを利用していると、周りは興味を持って話しかけてくれます。機内で過ごす時間のおもしろさも、海外へ行く楽しみの1つでした。

 

今、私の会社では世界70か国以上と直接、生き物の取り引きをしています。これは20歳前後で頻繁に海外へ行っていた時の人脈と経験によるものです。世界各国のアクティブな人たちと交流することで、価値の高い情報を得られました。中にはガセネタや罠もありましたが、そこを生き抜くのがすごく楽しかったですね。

 

私の生き方が、良いのか悪いのかは分かりません。山あり谷あり、谷あり、谷ありみたいな人生です。ただ、どんな経験もマイナスにはならないと捉えていますし、そう思わないと生きていけない業界なのかもしれません。だから、私には悩みや心配事はないんです。

 

<プロフィール>

白輪剛史(しらわ・つよし)。1969年生まれ、静岡市出身。静岡農業高校卒業。幼少期から爬虫類に興味を持ち、1995年に動物卸商「有限会社レップジャパン」を設立。2002年から国内最大級の爬虫類イベント「ジャパンレプタイルズショ―」を開催。2012年に体感型動物園iZooをオープンして園長に就任。

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