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2023/11/24

理系の元女性アナウンサー “よそ行き”で不合格の連続 「最後のチャンス」で採用

局アナ時代の広瀬さん(本人提供)

■元静岡朝日テレビ広瀬麻知子さん 学生アナ経験もキー局は不採用

就職活動は秋採用が始まっている。売り手市場で企業が人材獲得に苦労する中、いまだに数十倍、数百倍とも言われる業種の1つはアナウンサー。元静岡朝日テレビアナウンサーの広瀬麻知子さんのコラム「広瀬奮闘中」、今回は狭き門を突破した就職活動について語る。大学で理学部だった広瀬さんは化粧品会社や食品会社の入社試験と並行してテレビ局を受験。“よそ行き”で受けたキー局は不合格が続き、飾らない自分をアピールした静岡朝日テレビで採用を勝ち取った。

 

大学4年生を対象に企業が10月以降に採用活動をする秋採用のニュースを見かける機会が増えました。私も大学4年生の12月に募集を知った静岡朝日テレビのアナウンサー試験を受けています。

 

私は大学で化学を専攻していました。子どもの頃から文系科目が苦手でした。そろばんを習っていて計算が好きだったこともあって、高校では迷わず理系に進みました。理系だった2人の兄や父親の影響もあったと思います。

 

アナウンサーの仕事に興味を持ったのは大学1年生の時でした。昔からバラエティ番組が大好きで、フジテレビのホームページを見ていたら局の見学案内を見つけました。番組の裏側を知ることができそうだと思って応募すると、アナウンサーの体験もできました。その時、BSフジの学生アナウンサーに誘っていただき、週に1回ニュースや天気予報を読むようになりました。

 

学生アナウンサーでニュースを読むスタジオの隣が朝の情報番組「めざましテレビ」のスタジオだったこともあり、アナウンサーへの憧れは強くなりました。アナウンサーを目指してアナウンススクールに通い、キー局全ての民放を受験しました。でも、残念ながらご縁がありませんでした。

現在は長男と長女の2人を育てるママ(本人提供)

■化粧品や食品メーカーも受験 等身大で挑んだ最後のアナウンサー試験

アナウンサー以外には、化粧品会社や食品会社の研究職を受けていました。内定をいただいた化粧品会社への就職や大学院進学を考えていた中で、大学4年生の12月に静岡朝日テレビのアナウンサー募集を知りました。私は千葉県出身なので静岡県に縁はありませんでしたが、「最後のチャンス」と受験を決めました。

 

キー局の試験では、自分らしさを出せなかったことに後悔や反省がありました。アナウンサー試験は白やピンクのスーツやふんわりした洋服が良いという話を耳にして、就職活動の序盤は白いスーツで臨みました。ただ、苦手な服装に違和感があり、試験も早い段階で落ちてしまいました。その後は黒のパンツスーツに変更した記憶があります。面接では自分を良く見せようとする気持ちがあり、上手く話せませんでした。

 

静岡朝日テレビの試験には、何でも正直に話そうと決めて挑みました。自分の好きな服装と髪形で面接を受け、等身大の自分を知ってもらおうと心掛けました。当時は千葉に住んでいて静岡のテレビ番組を見られなかったので、ホームページを見て自分が働いた時のイメージを膨らませたり、静岡に住む知り合いの方に局や番組について話を聞いたり、静岡へ行った時にタクシーの運転手さんに番組のことを質問したりしていました。

 

静岡朝日テレビの面接では、どんな質問にも3秒以内に堂々と答えようと自分にルールを課しました。想定していたにもかかわらず、面接官に「理系の知識をどのようにアナウンサーとして生かせますか?」とたずねられた時、緊張で頭が真っ白になり「化学の番組をやりたいです」と答えて、面接官に苦笑いされた覚えがあります。

 

就職活動中の皆さんに特別なアドバイスをすることはできませんが、ありのままの自分を出した方が相手に気持ちが伝わりますし、入社してからも必要以上に気を遣わず周りと関係が築けると思います。

 

<プロフィール>

広瀬麻知子(ひろせ・まちこ)。千葉県我孫子市出身。2010年に静岡朝日テレビにアナウンサーとして入社し、1年目から「ピエール瀧のしょんないTV」を担当。その後、情報番組のMCや県内ニュースのキャスターを務め、20203月付で退社した。2018年に当時清水エスパルスでプレーしていた河井陽介選手(現在はファジアーノ岡山所属)と結婚。現在2児の母。

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