2023/12/17
「日本の家づくりを変える」職人社長の挑戦 勉強も大工も挫折…“地獄の2択”でスイッチ
■平松建築の平松明展さん 図工好きの少年が職人社長に
図工が得意だった少年は今、職人社長として「日本の家づくりを変える」目標に突き進んでいる。静岡県ゆかりの人たちが歩んできた人生をたどる特集「My Life」。第15回は磐田市にある工務店「平松建築」の社長、平松明展さん。10年間積み重ねた大工の経験に経営者の視点を掛け合わせて「消費型の家づくり」を変えようとしている。
タバコの箱、段ボール、割り箸、身近なものは遊び道具だった。相棒は小刀。時に手を切ってしまうこともあったが、工作への熱は冷めなかった。現在43歳の平松さんが子どもの頃を回想する。
「割り箸を小刀で削って鉄砲つくったり、父親が吸っていたタバコの箱で家をつくったりしていました。時間を忘れて没頭していましたね」
図工の成績は常に「5」。数学や理科も好きだったが、中学2年生の時に「もういいかな」と勉強からは距離を置いた。進路を考える高校3年生になっても勉強への熱は上がらない。選んだのは、大工の専門学校だった。
「誇張もなく、あと1年遊びたい気持ちがありました。学費が少ない学校を探していたら、大工の専門学校を見つけました。勉強は中学・高校でもっとやっておけば良かったと思う部分はありますが、理系の知識は家づくりにも生きています」
■専門学校の後半で優等生に変身 大工の道へ
明確な目的を持って入学したとは言えない専門学校。最初の半年は大工の基本となる「のみ研ぎ」や座学ばかりで、授業の出席率は高くなかったという。ところが、後半の半年は無遅刻無欠席と優等生に変身した。平松さんは「後半は家を1軒建てる実習でした。プロの大工さん3人に生徒が10人くらいついて、家1軒を建てていきます。図工みたいなワクワク感がありました。家づくりを仕事にできたら毎日楽しいはずと思って、建築会社に就職しました」
図工の延長線上にあると考えていた大工の道。しかし、現実は甘くなかった。毎日毎日、先輩から怒られた。平松さんが振り返る。
「図工の成績が抜群でも、10年、20年経験のあるプロの大工さんと比べたら足元にも及びません。そのギャップに悩みましたし、大工さんたちに経験や知識の違いを認めてもらえなかったことにも苦労しました。職人は『できて当たり前』、『何で分からないんだ』という世界でしたから」
知識や技術は見て学ぶのが当然だった職人の世界に平松さんは戸惑った。まずは、大工独特の言葉が分からない。「げんぞう、やっておけ」と指示されても、木材と木材をくっつける意味とは理解できず、怒鳴られた。
長さの単位は馴染みのあるメートルではなく、尺、寸、厘などを使う。マニュアルはない。SNSやYouTubeがない時代に、仕事を覚えるのは簡単ではなかった。
「何をやっても先輩の大工さんと同じようにできず、自分には向いていないと思っていました。辞めなかったのは、他にやりたいことがなかったからです。別の選択肢があれば逃げていたかもしれません」
■大工の先輩に叱られる毎日 「辞めたい」から3年目に“覚醒”
平松さんは嫌々、仕事をしていた。「大工を辞めたい」。沸き上がるのはマイナスな感情ばかりで、毎日を消化するだけだった。そんな中、転機が訪れる。大工を始めて3年目、先輩から敷居や鴨居をぴったりとくっつける仕事を任された。当時の平松さんにとっては難易度が高い内容だった。「失敗したら怒られる」。本音を言えば、断りたかった。
ただ、断ったら居心地がさらに悪くなる。どちらを選んでも“地獄”。平松さんは渋々、引き受ける選択をした。住宅の柱は微妙に歪んでいて、正確な直角ではないため、ぴったりはめ込むには技術を求められる。自信を持てないまま作業した平松さんだったが、自身の予想と反して柱は一発でピタリとはまった。その瞬間、かつての図工の楽しさがよみがえった。
「上手くいった喜びと褒められたうれしさで、スイッチが入りました。主体的に学ぼうと気持ちが切り替わって、成長のスピードは客観的に見て3倍以上になったと思います」
その2年後、入社して5年が経った頃、平松さんは初めて家を1軒任されるまでの信頼を得た。前向きに働く姿勢は技術や知識の習得に直結し、怒られる場面も減った。また、先輩に怒られたとしても指導や助言と捉え、自分の成長へつなげていった。
「25歳で初めて家1軒を任された時のお客さまは、結婚したばかりの20代後半の方でした。家をつくるには数千万円かかるのに、完成したら『ありがとう』と握手をしてくれました。それが、すごくうれしかったんです。こっちは家づくりが楽しくてやっているのに、お金をいただいて感謝される。家は形に残りますし、最高の仕事だなと思いました」
■「教えをやりきってから次へ」 成長の礎となった「守破離」
平松さんが大工をしていた頃、大切にしていた言葉がある。「守破離(しゅはり)」。茶道や武道の世界で使われ、修行の段階を示す。「守」は師の教えや型を忠実に守って身に付ける。「破」は他の師の教えからも良いものを取り入れて心技を発展させる。
「離」は1つの流派から離れて独自で新しいものを生み出す。中でも、平松さんは「教わったことをしっかりと守る。教わったことをやり切ってから次に行くように心掛けていました」と守を大事にしていた。
大工として10年が経ち、平松さんは大きな決断に踏み切った。独立――。職人社長の幕開けだった。【後編に続く】
(間 淳/Jun Aida)