2022/08/06
伝統の味を継承して75年 静岡市の老舗おでん店のスタートは漆業者だった
■漆→運送・製氷→たばこ→駄菓子・おでん 時代に合わせて変遷
JR静岡駅から歩いて20分ほど。静岡市街地北部にある浅間通り商店街には、名物店がある。「静岡おでん おがわ」。1948年に創業してから継ぎ足してきた伝統の出汁が染み込んだおでんは、地元だけではなく、静岡県外にもファンが多い。
おでんを販売して75年近くが経つ。そして、今の場所に店を構えたのはさらに昔、大正時代までさかのぼる。「おがわ」は元々、漆の卸業をしていた。徳川家康をまつる静岡市の久能山東照宮や、きらびやかな漆塗りの社殿が印象的で徳川家にゆかりのある浅間神社などにも、漆を卸していたという。
長年に渡って商売を続けるのは簡単ではない。輝かしい時代はやがて終わり、時は移り変わる。「おがわ」は、時代のニーズに合わせて業種を変えてきた。漆の卸業の次に選んだのは、運送業だった。店内には今も、当時の看板が飾られている。
運送業と同時に製氷業も営んだ。氷枕は一般家庭に加えて、病院からも需要があった。当時は、病気にも怪我にも氷枕が必需品だったためだ。15人が死亡し、200人以上が負傷した1980年に静岡駅地下街で起きた爆発事故の際は、事故現場まで氷を運んだという。
■コンビニ急増でたばこや駄菓子の販売から撤退 おでんで勝負
酒を出す飲食店はブロックの氷を買い求めた。店でおでんと一緒にかき氷も年中提供しているのは、当時の名残り。今は焼津市の業者から氷を仕入れているものの、「おがわ」の歴史は、おでんよりも氷の方が長いのだ。
戦後になると、運送業からたばこ販売にシフトした。おでんを作り始めたのも、この頃だ。静岡市では駄菓子屋におでんが並ぶ。「おがわ」も以前は、駄菓子を置いていた。だが、コンビニが急速に増え、たばこを求める客は大幅に減った。時代の流れに沿うように、たばこや駄菓子の販売から手を引いた。店内で駄菓子があった場所は、飲食用の座敷になっている。
時代の変化にあわせて変えていくべきことがある。一方、時代が移り変わっても守り続けたいものもある。大正時代から店を構える「おがわ」で70年以上引き継がれる伝統の静岡おでん。呼び名は同じおでんでも、コンビニや総菜屋で販売されているものとは同じではないという矜持がある。
(SHIZUOKA Life)