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2024/02/06

入団内定が取り消し…プロ1年目のチームは解散 苦労の後に待っていた夢の時間

現役時代の大澤さん(本人提供)

■元プロバスケ選手・大澤歩さん 大学卒業後に入団の話が消滅

8年間のプロ生活では、想像もしていなかった幸せな瞬間があった。昨シーズン限りでユニホームを脱いだプロバスケット選手の大澤歩さんは、地元に誕生したベルテックス静岡での開幕戦や初勝利が今も記憶に深く刻まれている。悔いも心残りもなく駆け抜けたプロ生活。ただ、その幕開けでは社会の洗礼を浴びた。【全3回の2回目】

 

小学3年生でバスケットを始めてから目標としていたプロ選手は、大学4年生の時に手が届くところまできた。2016年に「B.LEAGUE」として統合されるが、当時のプロには「bjリーグ」と「NBL」の2つのリーグがあった。

 

大澤さんのチームメートで大学3年生から主力としてプレーしていた選手はNBDL(NBLの2部リーグ)への入団が内定していた。大学4年生からスタメンで出場できるようになった大澤さんも大学卒業が3か月後に迫った時期に、NBLのチームに練習参加していた。そのチームからは「入団してほしい」と声をかけられていたという。

 

しかし、大学を卒業した4月1日、入団の話は流れた。大澤さんとプレースタイルが似ていて、当初は移籍すると思われていた選手がチームに残ったためだった。このままでは、バスケットを続ける場所がない。大澤さんに落ち込む時間はなかった。

 

「確実にプロになれると思っていたのでショックは大きかったです。ただ、自分の力ではどうにもならないクラブの事情があります。大学の寮を出なければいけませんでしたし、次の道を探そうと気持ちを切り替えました」

 

■「話が違う…」フルタイムでショップ店員 1年でチーム解散

大澤さんはbjリーグのトライアウトを受けた。そして、広島ライトニングへの入団が決まった。広島ライトニングはbjリーグの下部組織にあたる新リーグ「bjチャレンジリーグ」に参加し、半年後に「bjリーグ」へ昇格した。

 

広島ライトニングとはbjリーグの選手と同等の年俸で契約したが、午前中に仕事をして午後はバスケットをする生活になると説明を受けていた。だが、実際に入団するとプロとは言えない生活だった。仕事はフルタイム。スポーツショップの店員として午後5時まで働き、本職のバスケットの練習は1日数時間だけだった。

 

「聞いていた話とは違いましたが、やるしかないと思っていました。社会の洗礼ですね。バスケットだけで稼ぐ選手をプロと位置付けているので、この1年は自分の中でプロキャリアにカウントしていません。プロ生活の年数を1年少なく公言しているのは、そのためです」

 

思い描いていたプロ生活とは違った。さらに、大澤さんの苦難は続く。広島ライトニングは1年目のシーズンを終えると、運営母体の経営悪化によって活動休止となった。その後、チームは解散した。

 

大澤さんは、わずか1年で再びプレーする場所を探すことになった。「プロになる前の学生時代もバスケットのエリートではありませんでしたが、プロでも雑草でしたね」。突然のチーム解散に伴い、B2の香川ファイブアローズへ移籍した。

ベルテックス静岡でプレーしていた頃の大澤さん(本人提供)

■ベルテックス静岡誕生 B2からB3への移籍決断

香川ファイブアローズではポイントガード、さらにキャプテンとして中心を担った。チームに不可欠な存在となって3年目のシーズンが終わったオフ、大澤さんは大きな決断を下す。生まれ育った静岡市に誕生するベルテックス静岡から加入を打診された。

 

ベルテックス静岡が参入するのはB3。香川ファイブアローズのB2よりカテゴリーが下がる。プロである以上、より高いレベルでのプレーを希望するのは自然。しかも、大澤さんは広島ライトニングで創設1年目のチームの難しさを痛感している。

 

「ずっと静岡にバスケットチームができてほしいと思っていました。学生の頃は想像していなかった希望が、現実になろうとしているところでした。ベルテックスにキャプテンとしてチームに来てくれないかと声をかけてもらい、すごく悩みました。決して力が落ちたわけではない中でB2からB3への移籍ですし、新しくできるチームの怖さを広島で知っていましたから」

 

リスクを覚悟した上でベルテックス静岡を選んだのは、自分が生まれ育った地への愛情と感謝。そして、0を1にすることへの挑戦だった。大澤さんは「プロ選手はたくさんいますが、誰でも地元のチームでプレーできるわけではありません。それに、チームが軌道に乗ってからではなく、スタートから加わる経験は何事にも代えがたいと考えました」と語る。カテゴリーでは測れない価値を見出した。

 

大澤さんは静岡に骨をうずめる覚悟で帰ってきたという。プロ生活で思い出深い場面はたくさんある。中でも、ベルテックス静岡でのホーム開幕戦と初勝利を忘れられない特別な瞬間に挙げる。

 

「ベルテックスのユニホームを着て、ホームの声援を受けながらコートに立った時、視界がパアーっと開く感覚がありました。あの瞬間は今もはっきりと覚えています」

現在は静岡市でバスケットスクールを運営

■紆余曲折のプロ生活 「全く未練や後悔ない」

大澤さんは今シーズン、初めてスタンドからベルテックス静岡の開幕戦を観戦した。自身がプレーしていた頃は観客が数百人の時もあったが、今は1試合平均2000人近くが来場する。クラブ創設5年目を迎え、サッカーのまち静岡市にバスケットが根付き始めていると大澤さんは感じている。そして、自身の選択は間違っていないかったと確信している。

 

「B1のチームに所属したい思いは、もちろんありました。ただ、選手である以上、試合に出てステップアップしたい気持ちが強かったですし、自分だからこそできる役割を果たしたいとも思っていました。プロ選手はそれぞれに価値観が違うのは当然です。自分自身は全く未練や後悔がありません。やり切りました」

 

内定していたチームへの入団がかなわず、プロのスタートを切ったチームは1年で消滅した。だが、苦難を乗り越えて、地元のチームでプレーする夢へとたどり着いた。プロ生活に幕を下ろし、セカンドキャリアを歩み始めた大澤さん。紆余曲折のプロ生活は今後の財産となる。

 

(間 淳/Jun Aida

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